愛とマジックショー(10)
さて、やや巻き気味ですが(ショーとしては)今回で最後です。
やや鬼畜……ですが、自分でも果たしてエロいのかどうか……。
「自動人形の演舞」は元ネタリスペクト。
次回、エピローグ。
「アイ、アシスタントが座ってしまってはダメですよ、立ち上がってクダサイ」
「お、お願いリズ、もう、無理なの……」
立てと言われても、足に力が入らない。愛は、震える声でリズに懇願する。
「ウーン……仕方ありませんね。それではミナサン、こちらにご注目クダサイ!」
やれやれと小さくかぶりを振ったリズが、右手に持っていた愛のステージ衣装のトップを観客に見せるようにひらりと振ると、手の中にあったはずの衣装が煙のように消え、代わりに木製の道具が現れる。
大きさにして10センチ程度の、デッサン用人形のようなものの手足に糸が繋がっており、糸の反対側は十字に組み合わせた木板に繋がっている。実物を見るのは初めてであったが、それを何と呼ぶのかは愛も知っていた。そしてそれを裏付けるかのように、観客席からも小さな呟きが響く。
「『マリオネット』……?」
「ミナサンよくご存じのようで、何よりデス♪ それではこれより最後の演目……『自動人形の演舞(マリオネットダンス)』をご覧クダサイ!」
くい、とリズが右手で木の板を操ると、ステージ床の上で人形が胸の前で腕を交差させたような格好で立ち上がる。と、同時に観客席からどよめきの声が上がった。
「……え?」
ギャラリーの反応を不思議に思った愛だったが、すぐにそのどよめきの理由に気が付いた。
先ほどまでステージの上でうずくまっていた愛から見て、観客席は水平に近い位置に見えていたはずだ。だが、いつの間にか愛の視線は、観客席を見下ろしていた。
――そう、愛は自分でも気付かないうちに、マリオネットと同じ姿勢で立ち上がっていたのだ。
「きゃぁっ!? や、やだっ」
座らないと、いや、逃げないと。パニックに陥りながらも頭の中で考える愛だったが、不思議なことに足を動かそうという意思が全く起きない。
まるで、愛の心の奥底にもう一人の愛が潜んでおり、人形と同じ動きをしようとしているかのように。
「フッフッフ……逃げなくていいのデスか、アイ? 早く逃げないと……こんなコト、しちゃいますヨ?」
愛の心の中を見透かすかのようにリズが意地悪く笑い、人形の右手をまっすぐ上に掲げる。
「リズ、もう、これ以上は……やぁっ」
上げたくない、と必死で考えているのに、人形の動きに従わなければいけないような抗いがたい衝動に駆られてしまう。
愛の右腕は全く抵抗するそぶりも見せずまっすぐ上がる。手首から先が重力に従うようにだらりと垂れ下がっているその様子は、まるで実際に愛の右手首に見えない糸が巻き付いているかのようだった。
今や愛の胸を頼りなく隠しているのは左手だけ。いや、その左手すら、リズが少し糸に力を加えるだけで恐らく自分は為す術なく……
「『これ以上』って……たとえば、こういうコトですか? はい、バンザイ♪」
「ぁ……っ!」
嫌だ、と考える暇すら与えず、いともあっさりとリズが人形の左手を掲げ、人形の木でできた胸部を剥き出しにする。
その動きを真似ることは、自分の胸部を剥き出しにすることを意味している。そして、人形と違って愛の胸部は木でできているわけではない。
この左手だけは絶対に離すわけにはいかない、と縋るような気持ちで自分に言い聞かせるが、どんなに強い意志をもってしてもリズの操る人形の動きの前では何の意味もなかった。
「ダ、メっ……!」
大勢のギャラリーが目を皿のようにして見守る中、愛の胸を隠す最後の砦である左手はあっさりと持ち上がり――
「おっと、忘れるところデシタ♪」
――すんでの所で、先ほどのステッキが愛の胸の前に伸び、観客からの視線をギリギリで遮る。
トップレス姿で、両手を頭上に高く掲げ、かろうじて大事な所だけがステッキで隠されているという背徳的な光景にあてられ、体育館の中は異様な熱気を帯びていく。
糸で吊り下げられているかのように真っすぐ掲げられた両腕以外は完全に力が抜けており、まるで本当に愛が人形になってしまったかのようだ。
だが、これが人形でないことは、羞恥に唇を噛み締めながら目を潤ませている愛の表情を見れば明らかであった。
リズは愛の先端部分をステッキで隠したまま顔を愛の耳元まで寄せ、愛おしそうに愛の頬を撫でる。
「とっても、素敵な表情ですよアイ……ほら、ミナサンも、すっかりお人形サンになってしまったアイの虜デスね……」
「や、ぁっ……お願い、見ない、で……」
小刻みに震えながら蚊の鳴くような声で哀願する愛。露出度こそ先ほどボックスから出てきた時と同じようなものであるが、今回は本人が自分の姿を自覚しているにもかかわらず、まるで見せつけるようにステージ上で自分の胸を晒している。
もはや、「見ないで」という声も観客の興奮を高めるだけの効果しか持たない。誰もが、愛の隠された胸、そして蕩けそうな愛の表情から目を離すことができずにいた。
「ふふ……デモ、これで終わりデハありません。このマジックの演目は……マリオネット『ダンス』なのデスから、ね」
リズがぱちんと指を鳴らすと、聞いたことにある落ち着いた音楽が体育館に流れ始める。チャイコフスキーの『くるみ割り人形』だ。
容赦なく追い打ちをかけるようにリズが糸を巧みに操ると、マリオネットが両手を高く掲げたまま右足も高く上げ、まるでバレリーナのようにくるくると回転を始める。すると、先ほどまで完全に力が抜けきったようになっていた愛も右足を上げ、人形の動きをトレースするかのように回転を始めた。
「あ、またっ……嫌っ!」
くるくると回転する愛の胸が観客に見えそうになるたびにピンポイントでリズがステッキを使って隠していく早業に、観客席から感嘆のどよめきが漏れる。
音楽に合わせて人形を躍らせると、愛もそれに合わせるように軽快にステップを踏み、大きくジャンプする。
その姿はまるで本物のバレリーナのようだった。トップレスであることと、羞恥に表情を歪ませていることを除けば、の話だが。
「んっ、はぁっ……」
右へ、左へとステップを踏むたびに年相応に育った胸が揺れ、その先端がちらりと見えそうになる。その動きに釣られるように、思わずクラスメイト達の目の前だというのに身をかがめて覗きこもうとしてしまう生徒たち。指示されるたわけでもないのに同じ方向に身を乗り出すさまは、まるでギャラリーまでひっくるめてリズに操られているかのようだった。
そして、そんなギャラリーの動きは、否が応でも自分の胸が全員に注目されているということを愛に意識させてしまう。
みんなが、見ている。
私の胸を。
私の表情を。
私の全てを、みんなに見られている。
それは、幼少のころから引っ込み思案であり、人前で目立つことを嫌う愛にとって、初めての感覚だった。
激しい運動の為か、はたまた別の理由からか、愛の息遣いが徐々に荒くなり、火照った全身に玉のような汗がにじむ。
やがて、ゆったりとした音楽が終盤に向かうにつれ徐々にテンポがゆるやかになり、力強さを増す。
それに伴い、愛の動きもゆっくりと、それでいて大胆なものへと移行していく。
左足をぺたんと床につけ、両腕を大胆に広げたポーズを取るとともに、音楽はフィナーレを迎えた。
音楽がやみ、ステージ上が静寂に包まれても、しばしの間観客たちは呆けたように愛の姿に釘付けとなっていた。
リズが支えるステッキでわずかに隠されているとはいえ、見せつけるかのように完全に剥き出しとなっている胸。
うっすらと汗ばみ、ほんのり桜色に染まった全身。
そして、その中でもとりわけ赤く染まった頬。熱い吐息の漏れる唇。どこか遠くを見つめるような、潤んだ瞳。
愛の全てが、観客たちの視線を強く惹きつけていた。
「――コホン。 これにて、最後の演目、『自動人形の演舞』の終了デスが……ミナサン、お気に召しませんでしたでしょうカ?」
水を打ったような静寂を破るリズの声に、観客たちはようやくこれがマジックショーだということを思い出した。
同時に、愛も自分の体が自由になっていることに気付いて慌てて胸を隠し、足を閉じる。
いつの間にやら、マリオネット人形もリズの手から離れ、先ほどまで踊っていたのが嘘のようにステージ上で力が抜けたように座っていた。
「お気に召して頂けたお客様は――どうか、盛大な拍手をお願いいたしマス!」
そのリズの声に応えるかのように、体育館が万雷の拍手に包まれる。
リズはにこやかに頷くと、右手のステッキを懐にしまい、拍手を迎え入れるかのように両腕を大きく広げ、観客に向かって一礼する。
暫くの間その姿勢のままで拍手を受け入れていたリズだったが、ふと、体育館の床にへたり込んでいた先ほどの人形の方に目を遣り、ジェスチャーで拍手を制止する。
「――オヤ? どうやら、私のお人形サンもミナサンからの拍手が欲しくて再び動き出してしまったようデスね?」
「……え?」
そんなバカな、と驚いて愛は人形の方に目を向ける。もはや完全にリズの手を離れ、操る者のいないマリオネット。
その命を持たない人形が、まるで自ら立ち上がろうとするかのように、ぴくぴくと動いている。両腕は体を隠すように折り曲げられたまま、震える脚でゆっくりと立ち上がっていく。
「あっ……!」
先ほどの悪夢のような記憶が脳裏を過ぎり、慌ててステージから逃げようとする愛だったが、時は既に遅かった。
「嫌っ……なん、で……!」
リズが人形を操っていた時と全く同じように、腕で胸を隠したまま愛の両足が動き、震えながら正面に向けてゆっくりと立ち上がる。
思わぬサプライズに観客たちも思わず息を飲み、再び愛に視線が集中する。
ショーは既に終わったのではなかったのか。愛はそう抗議したかったが完全にパニックに陥って言葉が出てこない。
先ほどと似たようなシチュエーションだが、大きな違いが一点だけあった。それは、先ほど愛の胸を隠していたステッキは、リズが懐にしまったためにもう使えないということだ。
まさか。でも、もしかしたら。
観客たちの期待と、愛の不安は完全に一致していた。
「――それではミナサン、お人形がポーズを取りましたら、再び盛大な拍手をお願いいたします!」
相変わらず誰も操作していないはずの人形が、愛とギャラリーが見守る中で動き出す。
――それは、先ほどリズが取っていたものと同じ、両腕を左右に大きく広げたポーズ。
「い……いやああああ!」
お願い、やめて。それだけは、嫌。
もはや自分の胸を隠すものがない状態で、腕を広げることが何を意味するかは、愛にも観客にもよく分かっていた。
何かの冗談であって欲しい、そう願う愛の気持ちを裏切るかのように、愛の両腕はあっさりと人形の動きを真似るかのように、全校生徒が見守る中で大きく開いていく。
「あ、ぁ……」
ほんの一秒にも満たない出来事が、愛にとってはまるで走馬燈でも見るかのように永遠にも感じられる。
後輩が、先輩が、同級生が、教員が。愛の見知った顔も、知らない顔も、男子も、女子も。
例外なく全ての視線が集中する中、自分の大事なところを守るはずの両腕が、まるで自ら進んでそこを見せつけようとするかのように開き始める。
腕がわずかに体から離れると、抑えつけられた胸が外気に解放され、重力に従って元気に弾む。しかし、それでも腕は止まらない。曲げていた肘を伸ばすように、今度は両手が前へと動き始める。
隠したい、という想いとは裏腹に前に両手が突き出され、真っすぐに肘が伸ばされる。もはや、愛の胸を観客席の視線から遮るものは、正面に突き出された愛の小さな両手だけ。だが無情にもその両手すら、人形の動きを真似て左右へと開いていく。
観客の中に、愛の胸に視線を向けていない者は一人もいなかった。誰もがその瞬間を心の奥底で期待する中、文字通り最後の砦である愛の両手が左右に大きく広がる。
掌で隠れていた胸が徐々に露わになっていき、やがてわずかに先端部分が親指で隠れるのみとなり、ついにその場所を全校生徒に晒すかのように両腕が完全に広げられた、
その瞬間。
体育館が暗闇に包まれた。
「うわっ!?」
「なに、停電?」
完全に不意を突かれ動揺した生徒たちによって、わずかに体育館の中は騒然となる。
だが、すぐにその喧騒を打ち破るかのように、暗闇の中でリズの声が響いた。
「ワン、ツー、スリー!」
ぱちん、と指を鳴らす音とともに、ステージの真ん中をスポットライトが照らす。
ライトの中心には、観客席に向かって自分の全てを見せつけるかのように大きく両腕を広げた愛の姿。
その顔は耳まで真っ赤に染まり、両目には今にも零れ出しそうなほど大粒の涙が浮かんでいた。
観客たちは愛の姿を、誰もが驚きの表情で見上げていた。
見られた。
誰にも見せたことのない自分の胸を、全校生徒に見られてしまった。
もうこの学校に二度と顔を出せない。いや、もう生きていけない。
「いやぁ……ぁ……え?」
ふと、観客の反応に違和感を覚える。確かに誰もが目を丸くして愛の姿を見つめていた。だが、興奮しているのとは少し違う。
どちらかというと、逆に冷静さを取り戻しているような表情で、少し残念そうだったり、気恥ずかしさに目を伏せたりしている。
やがて思い出したようにはっとした生徒が一人、また一人と拍手を始めると、徐々に体育館に拍手が広がっていく。
「ふぇ……?」
割れんばかりの拍手に包まれながら、狐につままれたような気分の愛は恐る恐る自分の体を見下ろした。
予想していた通り、視界に飛び込んできたのは自分の胸。ただし、予想とは違い、愛の服装はトップレスのステージ衣装ではなかった。というより、ステージ衣装ですらなかった。
愛の身を包んでいたのは、先ほどボックスの中で脱いできたはずの、学校の制服。
「え……えええええ!?」
セーラー服も、スカートも、スカートも、下着も。まるで最初から脱いでなどいなかったかのように、しっかりと着付けられていた。
愛が慌ててリズの方へと視線を投げかけると、リズは悪戯っぽく微笑み、ぱちんとウインクすると観客席へと向き直った。
「――ミナサン、盛大な拍手をありがとうございます! それデハ、これにて本日のショーを閉幕とさせていただきます!」
未だに拍手の鳴りやまぬ中、恭しく一礼するリズと、呆然と立ち尽くす愛の姿を覆い隠すように、ステージの幕が下りた。
やや鬼畜……ですが、自分でも果たしてエロいのかどうか……。
「自動人形の演舞」は元ネタリスペクト。
次回、エピローグ。
「アイ、アシスタントが座ってしまってはダメですよ、立ち上がってクダサイ」
「お、お願いリズ、もう、無理なの……」
立てと言われても、足に力が入らない。愛は、震える声でリズに懇願する。
「ウーン……仕方ありませんね。それではミナサン、こちらにご注目クダサイ!」
やれやれと小さくかぶりを振ったリズが、右手に持っていた愛のステージ衣装のトップを観客に見せるようにひらりと振ると、手の中にあったはずの衣装が煙のように消え、代わりに木製の道具が現れる。
大きさにして10センチ程度の、デッサン用人形のようなものの手足に糸が繋がっており、糸の反対側は十字に組み合わせた木板に繋がっている。実物を見るのは初めてであったが、それを何と呼ぶのかは愛も知っていた。そしてそれを裏付けるかのように、観客席からも小さな呟きが響く。
「『マリオネット』……?」
「ミナサンよくご存じのようで、何よりデス♪ それではこれより最後の演目……『自動人形の演舞(マリオネットダンス)』をご覧クダサイ!」
くい、とリズが右手で木の板を操ると、ステージ床の上で人形が胸の前で腕を交差させたような格好で立ち上がる。と、同時に観客席からどよめきの声が上がった。
「……え?」
ギャラリーの反応を不思議に思った愛だったが、すぐにそのどよめきの理由に気が付いた。
先ほどまでステージの上でうずくまっていた愛から見て、観客席は水平に近い位置に見えていたはずだ。だが、いつの間にか愛の視線は、観客席を見下ろしていた。
――そう、愛は自分でも気付かないうちに、マリオネットと同じ姿勢で立ち上がっていたのだ。
「きゃぁっ!? や、やだっ」
座らないと、いや、逃げないと。パニックに陥りながらも頭の中で考える愛だったが、不思議なことに足を動かそうという意思が全く起きない。
まるで、愛の心の奥底にもう一人の愛が潜んでおり、人形と同じ動きをしようとしているかのように。
「フッフッフ……逃げなくていいのデスか、アイ? 早く逃げないと……こんなコト、しちゃいますヨ?」
愛の心の中を見透かすかのようにリズが意地悪く笑い、人形の右手をまっすぐ上に掲げる。
「リズ、もう、これ以上は……やぁっ」
上げたくない、と必死で考えているのに、人形の動きに従わなければいけないような抗いがたい衝動に駆られてしまう。
愛の右腕は全く抵抗するそぶりも見せずまっすぐ上がる。手首から先が重力に従うようにだらりと垂れ下がっているその様子は、まるで実際に愛の右手首に見えない糸が巻き付いているかのようだった。
今や愛の胸を頼りなく隠しているのは左手だけ。いや、その左手すら、リズが少し糸に力を加えるだけで恐らく自分は為す術なく……
「『これ以上』って……たとえば、こういうコトですか? はい、バンザイ♪」
「ぁ……っ!」
嫌だ、と考える暇すら与えず、いともあっさりとリズが人形の左手を掲げ、人形の木でできた胸部を剥き出しにする。
その動きを真似ることは、自分の胸部を剥き出しにすることを意味している。そして、人形と違って愛の胸部は木でできているわけではない。
この左手だけは絶対に離すわけにはいかない、と縋るような気持ちで自分に言い聞かせるが、どんなに強い意志をもってしてもリズの操る人形の動きの前では何の意味もなかった。
「ダ、メっ……!」
大勢のギャラリーが目を皿のようにして見守る中、愛の胸を隠す最後の砦である左手はあっさりと持ち上がり――
「おっと、忘れるところデシタ♪」
――すんでの所で、先ほどのステッキが愛の胸の前に伸び、観客からの視線をギリギリで遮る。
トップレス姿で、両手を頭上に高く掲げ、かろうじて大事な所だけがステッキで隠されているという背徳的な光景にあてられ、体育館の中は異様な熱気を帯びていく。
糸で吊り下げられているかのように真っすぐ掲げられた両腕以外は完全に力が抜けており、まるで本当に愛が人形になってしまったかのようだ。
だが、これが人形でないことは、羞恥に唇を噛み締めながら目を潤ませている愛の表情を見れば明らかであった。
リズは愛の先端部分をステッキで隠したまま顔を愛の耳元まで寄せ、愛おしそうに愛の頬を撫でる。
「とっても、素敵な表情ですよアイ……ほら、ミナサンも、すっかりお人形サンになってしまったアイの虜デスね……」
「や、ぁっ……お願い、見ない、で……」
小刻みに震えながら蚊の鳴くような声で哀願する愛。露出度こそ先ほどボックスから出てきた時と同じようなものであるが、今回は本人が自分の姿を自覚しているにもかかわらず、まるで見せつけるようにステージ上で自分の胸を晒している。
もはや、「見ないで」という声も観客の興奮を高めるだけの効果しか持たない。誰もが、愛の隠された胸、そして蕩けそうな愛の表情から目を離すことができずにいた。
「ふふ……デモ、これで終わりデハありません。このマジックの演目は……マリオネット『ダンス』なのデスから、ね」
リズがぱちんと指を鳴らすと、聞いたことにある落ち着いた音楽が体育館に流れ始める。チャイコフスキーの『くるみ割り人形』だ。
容赦なく追い打ちをかけるようにリズが糸を巧みに操ると、マリオネットが両手を高く掲げたまま右足も高く上げ、まるでバレリーナのようにくるくると回転を始める。すると、先ほどまで完全に力が抜けきったようになっていた愛も右足を上げ、人形の動きをトレースするかのように回転を始めた。
「あ、またっ……嫌っ!」
くるくると回転する愛の胸が観客に見えそうになるたびにピンポイントでリズがステッキを使って隠していく早業に、観客席から感嘆のどよめきが漏れる。
音楽に合わせて人形を躍らせると、愛もそれに合わせるように軽快にステップを踏み、大きくジャンプする。
その姿はまるで本物のバレリーナのようだった。トップレスであることと、羞恥に表情を歪ませていることを除けば、の話だが。
「んっ、はぁっ……」
右へ、左へとステップを踏むたびに年相応に育った胸が揺れ、その先端がちらりと見えそうになる。その動きに釣られるように、思わずクラスメイト達の目の前だというのに身をかがめて覗きこもうとしてしまう生徒たち。指示されるたわけでもないのに同じ方向に身を乗り出すさまは、まるでギャラリーまでひっくるめてリズに操られているかのようだった。
そして、そんなギャラリーの動きは、否が応でも自分の胸が全員に注目されているということを愛に意識させてしまう。
みんなが、見ている。
私の胸を。
私の表情を。
私の全てを、みんなに見られている。
それは、幼少のころから引っ込み思案であり、人前で目立つことを嫌う愛にとって、初めての感覚だった。
激しい運動の為か、はたまた別の理由からか、愛の息遣いが徐々に荒くなり、火照った全身に玉のような汗がにじむ。
やがて、ゆったりとした音楽が終盤に向かうにつれ徐々にテンポがゆるやかになり、力強さを増す。
それに伴い、愛の動きもゆっくりと、それでいて大胆なものへと移行していく。
左足をぺたんと床につけ、両腕を大胆に広げたポーズを取るとともに、音楽はフィナーレを迎えた。
音楽がやみ、ステージ上が静寂に包まれても、しばしの間観客たちは呆けたように愛の姿に釘付けとなっていた。
リズが支えるステッキでわずかに隠されているとはいえ、見せつけるかのように完全に剥き出しとなっている胸。
うっすらと汗ばみ、ほんのり桜色に染まった全身。
そして、その中でもとりわけ赤く染まった頬。熱い吐息の漏れる唇。どこか遠くを見つめるような、潤んだ瞳。
愛の全てが、観客たちの視線を強く惹きつけていた。
「――コホン。 これにて、最後の演目、『自動人形の演舞』の終了デスが……ミナサン、お気に召しませんでしたでしょうカ?」
水を打ったような静寂を破るリズの声に、観客たちはようやくこれがマジックショーだということを思い出した。
同時に、愛も自分の体が自由になっていることに気付いて慌てて胸を隠し、足を閉じる。
いつの間にやら、マリオネット人形もリズの手から離れ、先ほどまで踊っていたのが嘘のようにステージ上で力が抜けたように座っていた。
「お気に召して頂けたお客様は――どうか、盛大な拍手をお願いいたしマス!」
そのリズの声に応えるかのように、体育館が万雷の拍手に包まれる。
リズはにこやかに頷くと、右手のステッキを懐にしまい、拍手を迎え入れるかのように両腕を大きく広げ、観客に向かって一礼する。
暫くの間その姿勢のままで拍手を受け入れていたリズだったが、ふと、体育館の床にへたり込んでいた先ほどの人形の方に目を遣り、ジェスチャーで拍手を制止する。
「――オヤ? どうやら、私のお人形サンもミナサンからの拍手が欲しくて再び動き出してしまったようデスね?」
「……え?」
そんなバカな、と驚いて愛は人形の方に目を向ける。もはや完全にリズの手を離れ、操る者のいないマリオネット。
その命を持たない人形が、まるで自ら立ち上がろうとするかのように、ぴくぴくと動いている。両腕は体を隠すように折り曲げられたまま、震える脚でゆっくりと立ち上がっていく。
「あっ……!」
先ほどの悪夢のような記憶が脳裏を過ぎり、慌ててステージから逃げようとする愛だったが、時は既に遅かった。
「嫌っ……なん、で……!」
リズが人形を操っていた時と全く同じように、腕で胸を隠したまま愛の両足が動き、震えながら正面に向けてゆっくりと立ち上がる。
思わぬサプライズに観客たちも思わず息を飲み、再び愛に視線が集中する。
ショーは既に終わったのではなかったのか。愛はそう抗議したかったが完全にパニックに陥って言葉が出てこない。
先ほどと似たようなシチュエーションだが、大きな違いが一点だけあった。それは、先ほど愛の胸を隠していたステッキは、リズが懐にしまったためにもう使えないということだ。
まさか。でも、もしかしたら。
観客たちの期待と、愛の不安は完全に一致していた。
「――それではミナサン、お人形がポーズを取りましたら、再び盛大な拍手をお願いいたします!」
相変わらず誰も操作していないはずの人形が、愛とギャラリーが見守る中で動き出す。
――それは、先ほどリズが取っていたものと同じ、両腕を左右に大きく広げたポーズ。
「い……いやああああ!」
お願い、やめて。それだけは、嫌。
もはや自分の胸を隠すものがない状態で、腕を広げることが何を意味するかは、愛にも観客にもよく分かっていた。
何かの冗談であって欲しい、そう願う愛の気持ちを裏切るかのように、愛の両腕はあっさりと人形の動きを真似るかのように、全校生徒が見守る中で大きく開いていく。
「あ、ぁ……」
ほんの一秒にも満たない出来事が、愛にとってはまるで走馬燈でも見るかのように永遠にも感じられる。
後輩が、先輩が、同級生が、教員が。愛の見知った顔も、知らない顔も、男子も、女子も。
例外なく全ての視線が集中する中、自分の大事なところを守るはずの両腕が、まるで自ら進んでそこを見せつけようとするかのように開き始める。
腕がわずかに体から離れると、抑えつけられた胸が外気に解放され、重力に従って元気に弾む。しかし、それでも腕は止まらない。曲げていた肘を伸ばすように、今度は両手が前へと動き始める。
隠したい、という想いとは裏腹に前に両手が突き出され、真っすぐに肘が伸ばされる。もはや、愛の胸を観客席の視線から遮るものは、正面に突き出された愛の小さな両手だけ。だが無情にもその両手すら、人形の動きを真似て左右へと開いていく。
観客の中に、愛の胸に視線を向けていない者は一人もいなかった。誰もがその瞬間を心の奥底で期待する中、文字通り最後の砦である愛の両手が左右に大きく広がる。
掌で隠れていた胸が徐々に露わになっていき、やがてわずかに先端部分が親指で隠れるのみとなり、ついにその場所を全校生徒に晒すかのように両腕が完全に広げられた、
その瞬間。
体育館が暗闇に包まれた。
「うわっ!?」
「なに、停電?」
完全に不意を突かれ動揺した生徒たちによって、わずかに体育館の中は騒然となる。
だが、すぐにその喧騒を打ち破るかのように、暗闇の中でリズの声が響いた。
「ワン、ツー、スリー!」
ぱちん、と指を鳴らす音とともに、ステージの真ん中をスポットライトが照らす。
ライトの中心には、観客席に向かって自分の全てを見せつけるかのように大きく両腕を広げた愛の姿。
その顔は耳まで真っ赤に染まり、両目には今にも零れ出しそうなほど大粒の涙が浮かんでいた。
観客たちは愛の姿を、誰もが驚きの表情で見上げていた。
見られた。
誰にも見せたことのない自分の胸を、全校生徒に見られてしまった。
もうこの学校に二度と顔を出せない。いや、もう生きていけない。
「いやぁ……ぁ……え?」
ふと、観客の反応に違和感を覚える。確かに誰もが目を丸くして愛の姿を見つめていた。だが、興奮しているのとは少し違う。
どちらかというと、逆に冷静さを取り戻しているような表情で、少し残念そうだったり、気恥ずかしさに目を伏せたりしている。
やがて思い出したようにはっとした生徒が一人、また一人と拍手を始めると、徐々に体育館に拍手が広がっていく。
「ふぇ……?」
割れんばかりの拍手に包まれながら、狐につままれたような気分の愛は恐る恐る自分の体を見下ろした。
予想していた通り、視界に飛び込んできたのは自分の胸。ただし、予想とは違い、愛の服装はトップレスのステージ衣装ではなかった。というより、ステージ衣装ですらなかった。
愛の身を包んでいたのは、先ほどボックスの中で脱いできたはずの、学校の制服。
「え……えええええ!?」
セーラー服も、スカートも、スカートも、下着も。まるで最初から脱いでなどいなかったかのように、しっかりと着付けられていた。
愛が慌ててリズの方へと視線を投げかけると、リズは悪戯っぽく微笑み、ぱちんとウインクすると観客席へと向き直った。
「――ミナサン、盛大な拍手をありがとうございます! それデハ、これにて本日のショーを閉幕とさせていただきます!」
未だに拍手の鳴りやまぬ中、恭しく一礼するリズと、呆然と立ち尽くす愛の姿を覆い隠すように、ステージの幕が下りた。