愛とマジックショー(8)
さて、「愛とマジックショー」の続きです。
今回、ようやく着替えを終えた(?)愛ちゃんがボックスから出てきます。
ステージの上。
リズが誇らしげに右手に握るその布地に、観客たちは目を丸くしていた。
それはそうだろう。何せ、つい先ほどボックスの中の愛が着用したはずのステージ衣装が、一瞬にして目の前の少女の手の中に移動したのだ。
いくらなんでも、ボックスの中から外へと一瞬にして衣装を移動させられるはずなどない。頭の中ではそう考えて否定するが、ついついあらぬ期待をして、ボックスのシルエットを確認してしまう。
当然と言うべきか意外と言うべきか、壁に投影されたシルエットは、まるで何事もなかったかのように淡々とステージ衣装のボトムを着用し終えたところだった。常識的に考えて、いくらショーとはいえあの高原が実際にトップレスになどなるものか。恐らく今の布も、リズが袖などに隠し持っていたものを取り出しただけだろう。
だが、本当にそうだろうか? 着替えを終えて立ち上がる愛のシルエットの上半身に、ステージ衣装の輪郭が映っていないのは気のせいだろうか。そして、そのふくらみの頂点に佇む、小さいながらもはっきりとした突起は見間違いだろうか?
――そんなこと、ありえるはずがない。
――でも、もし見間違いじゃなかったとしたら?
声にこそ出さないものの、観客たちの思いは一つだった。
そんなギャラリーの思いをよそに、愛の方はボックスの中に用意されていたのであろうステージ用の靴に履き替え終わっていた。どうやらステージ衣装への着替えは完了したらしい。
それを確認したリズは左手に握っていた懐中電灯を舞台袖に放り捨てると、ステージ上のマイクを手に取った。
「お待たせいたしました……どうやら、私のアシスタントの準備も整ったようです! ではミナサン、お色直しを終えた彼女の姿にご注目ください!」
そして左手に握っていたマイクをくるりと振ると、いかにも奇術師然とした装いの黒いステッキがその手の中に現れる。そのステッキを1メートルほどの高さに水平に掲げ、まるで愛を出迎えるようにボックスの方へと向けた。
いよいよ、ボックスから愛が現れる。観客たちは、その瞬間を固唾を飲んで見守っていた。
「ひゃぁっ!?」
つつ、と、撫でるように背中を這う指の感触に愛は思わず頓狂な悲鳴を上げてびくりと跳ね上がった。その拍子に、手に取っていた衣装を足元に取り落としてしまう。
「な、何!?」
慌てて胸を隠し、何もないはずの空間を振り返るが、当然のように目の前に広がるは無機質な壁ばかり。
当然だ。誰もいないボックスの中、誰かが後ろから自分の背中を撫でるなどといった芸当など、到底できるはずもない。
一体何故――と頭を働かせると、ボックスに入る前のリズの台詞が頭を過ぎった。
『ドンウォーリィ、アイ。しばらくの間は私が簡単なマジックで場をつないでいるので、慌てなくても大丈夫』
恐らくは、リズが『場をつなげる簡単なマジック』の一環として、自分を脅かすために、壁の隙間かどこかから風を使って悪戯を仕掛けたのだろう。手探りで壁を調べてみるが、空気穴や仕掛けらしきものは見当たらない。まあ、素人に簡単に見破られるような簡単な仕掛けなど用意しているはずもないわけだが……。
仕方がない。他にどんな仕掛けが用意されているのか分からないが、これ以上何かされる前に着替えてしまえば済む話だ。
愛は小さく息をつくと先ほど取り落とした衣装を拾い上げ、覚悟を決めて下手を振り返るとそのトップスに腕を通した。
露出度高めのデザイン上、ブラジャーを脱ぐ必要があることに対しては抵抗があった。しかし、着替えると宣言してしまった手前、後には引けない。
それに、先ほどのように下着姿をステージ上で晒してしまうことに比べれば、ステージ衣装の方が幾分マシだ。
しっかりとトップを着用すると、残るはボトムだ。幸いにも、こちらはある程度の面積があるためショーツの上からでも問題なく着用できる。
慌てて着用して転んだりしないようにだけ気を付けよう。愛はそう考えながら、ステージ衣装のボトムを拾い上げ、身を屈めて慎重に足を通していく。
右足、左足と順番に通し、腰まで引き上げたところで、ふと違和感を覚えた。
何か、先ほどまでよりも涼しくなった――というよりも、解放感があるような、そんな感覚。だが、奇妙なことに愛にはその正体に到達することができなかった。
とはいえ、今はそんな違和感を気にしている場合ではない。早く着替えを終えて、ステージに戻らなければ。少なくとも、これ以上更衣室の中で悪戯されるのは真っ平御免蒙る。
用意されていた靴を履いていると、会場に設置されているスピーカーからリズの声が響いてくる。
『お待たせいたしました……どうやら、私のアシスタントの準備も整ったようです! ではミナサン、お色直しを終えた彼女の姿にご注目ください!』
どうやって自分の着替えている状況を把握していたのかは疑問だったが、それを今考える時間はなさそうだ。ともかく、紹介された以上ボックスから出ないわけにはいかない。
覚悟を決めて舞台上手を向いたドアを開くと、まるでリズが自分を出迎えるかのように左手に握ったステッキを掲げているのが目に入る。
「え、ええと……」
正直、ステージ衣装を身にまとってこれだけの注目を浴びることなど想定外の事態だが、このままボックスから出なければ余計に目立つだけだ。
(ええい、儘よ!)
愛は緊張した面持ちで精一杯の笑顔を作ると、やや硬い動きでボックスから足を踏み出し、観客席の方を向き直って軽く頭を下げた。
――静寂。
「あ、あれ……?」
もちろん愛としても、割れんばかりの拍手の嵐を期待していたわけではなかったが……それにしても、おかしい。
先ほどまで盛り上がっていたであろう観客たちが、自分の姿を目にした途端に、水を打ったように静まり返っていた。
恐る恐る、不自然にならない程度に観客席の様子を見渡す。誰もが呆気にとられたように口をあんぐりと開けて、愛の方を見ている。
もしかして私は、出て行くべきタイミングを間違えてしまったのか?
自分がマジックショーの段取りをぶち壊してしまったとしたら、どうしよう。そんな思いから、救いを求めるようにリズに視線を送る愛。
しかし、リズは困ったような表情で視線を泳がせ、決して愛と目を合わせようとしない。
もしかして、リズも匙を投げるほど取り返しのつかないミスをしてしまったのだろうか。絶望し、いっそこのまま逃げ出してしまおうかとすら思い始めた愛に対して、ようやくリズが視線を逸らしたまま口を開いた。
「コホン……アイ、急いで着替えて頂いたのはとても有難いのデスが……その……大事なモノを、お忘れじゃないデスか?」
そう言って愛に対して差し伸べられた右手。そこに握られていたのは、間違いなく先ほど着用したはずのステージ衣装のトップ。
「ふぇ? なんでそれをリズが――」
そこまで言葉を紡いで、一つの可能性に辿りついてしまった愛は、それ以上の言葉を続けることができなくなった。
ボックスの中で着替え中に感じた、奇妙な解放感。
自分の姿を見た観客の、異常な反応。
そして、リズが今右手に持っている、ステージ衣装。
認めたくないことだが、それらの事実は、たった一つの結論を示唆していた。
違う。そんな非現実的なことが、起こり得るはずがない。リズが手に持っている衣装も、単なるスペアか何かに決まっている。
衣装だって、着用したことは間違いない。きっと観客の反応がおかしいのは、確認不足でトップを逆さまに着用してしまったとか、そんなところだろう。
自分の頭に浮かんだ最悪の想像を拒絶し、ゆっくりと観客たちの視線の先を追うように、自分の上半身を確認した愛の目に映ったものは……
……全校生徒の注目するステージの上で、完全に曝け出された自分の双丘だった。
今回、ようやく着替えを終えた(?)愛ちゃんがボックスから出てきます。
ステージの上。
リズが誇らしげに右手に握るその布地に、観客たちは目を丸くしていた。
それはそうだろう。何せ、つい先ほどボックスの中の愛が着用したはずのステージ衣装が、一瞬にして目の前の少女の手の中に移動したのだ。
いくらなんでも、ボックスの中から外へと一瞬にして衣装を移動させられるはずなどない。頭の中ではそう考えて否定するが、ついついあらぬ期待をして、ボックスのシルエットを確認してしまう。
当然と言うべきか意外と言うべきか、壁に投影されたシルエットは、まるで何事もなかったかのように淡々とステージ衣装のボトムを着用し終えたところだった。常識的に考えて、いくらショーとはいえあの高原が実際にトップレスになどなるものか。恐らく今の布も、リズが袖などに隠し持っていたものを取り出しただけだろう。
だが、本当にそうだろうか? 着替えを終えて立ち上がる愛のシルエットの上半身に、ステージ衣装の輪郭が映っていないのは気のせいだろうか。そして、そのふくらみの頂点に佇む、小さいながらもはっきりとした突起は見間違いだろうか?
――そんなこと、ありえるはずがない。
――でも、もし見間違いじゃなかったとしたら?
声にこそ出さないものの、観客たちの思いは一つだった。
そんなギャラリーの思いをよそに、愛の方はボックスの中に用意されていたのであろうステージ用の靴に履き替え終わっていた。どうやらステージ衣装への着替えは完了したらしい。
それを確認したリズは左手に握っていた懐中電灯を舞台袖に放り捨てると、ステージ上のマイクを手に取った。
「お待たせいたしました……どうやら、私のアシスタントの準備も整ったようです! ではミナサン、お色直しを終えた彼女の姿にご注目ください!」
そして左手に握っていたマイクをくるりと振ると、いかにも奇術師然とした装いの黒いステッキがその手の中に現れる。そのステッキを1メートルほどの高さに水平に掲げ、まるで愛を出迎えるようにボックスの方へと向けた。
いよいよ、ボックスから愛が現れる。観客たちは、その瞬間を固唾を飲んで見守っていた。
「ひゃぁっ!?」
つつ、と、撫でるように背中を這う指の感触に愛は思わず頓狂な悲鳴を上げてびくりと跳ね上がった。その拍子に、手に取っていた衣装を足元に取り落としてしまう。
「な、何!?」
慌てて胸を隠し、何もないはずの空間を振り返るが、当然のように目の前に広がるは無機質な壁ばかり。
当然だ。誰もいないボックスの中、誰かが後ろから自分の背中を撫でるなどといった芸当など、到底できるはずもない。
一体何故――と頭を働かせると、ボックスに入る前のリズの台詞が頭を過ぎった。
『ドンウォーリィ、アイ。しばらくの間は私が簡単なマジックで場をつないでいるので、慌てなくても大丈夫』
恐らくは、リズが『場をつなげる簡単なマジック』の一環として、自分を脅かすために、壁の隙間かどこかから風を使って悪戯を仕掛けたのだろう。手探りで壁を調べてみるが、空気穴や仕掛けらしきものは見当たらない。まあ、素人に簡単に見破られるような簡単な仕掛けなど用意しているはずもないわけだが……。
仕方がない。他にどんな仕掛けが用意されているのか分からないが、これ以上何かされる前に着替えてしまえば済む話だ。
愛は小さく息をつくと先ほど取り落とした衣装を拾い上げ、覚悟を決めて下手を振り返るとそのトップスに腕を通した。
露出度高めのデザイン上、ブラジャーを脱ぐ必要があることに対しては抵抗があった。しかし、着替えると宣言してしまった手前、後には引けない。
それに、先ほどのように下着姿をステージ上で晒してしまうことに比べれば、ステージ衣装の方が幾分マシだ。
しっかりとトップを着用すると、残るはボトムだ。幸いにも、こちらはある程度の面積があるためショーツの上からでも問題なく着用できる。
慌てて着用して転んだりしないようにだけ気を付けよう。愛はそう考えながら、ステージ衣装のボトムを拾い上げ、身を屈めて慎重に足を通していく。
右足、左足と順番に通し、腰まで引き上げたところで、ふと違和感を覚えた。
何か、先ほどまでよりも涼しくなった――というよりも、解放感があるような、そんな感覚。だが、奇妙なことに愛にはその正体に到達することができなかった。
とはいえ、今はそんな違和感を気にしている場合ではない。早く着替えを終えて、ステージに戻らなければ。少なくとも、これ以上更衣室の中で悪戯されるのは真っ平御免蒙る。
用意されていた靴を履いていると、会場に設置されているスピーカーからリズの声が響いてくる。
『お待たせいたしました……どうやら、私のアシスタントの準備も整ったようです! ではミナサン、お色直しを終えた彼女の姿にご注目ください!』
どうやって自分の着替えている状況を把握していたのかは疑問だったが、それを今考える時間はなさそうだ。ともかく、紹介された以上ボックスから出ないわけにはいかない。
覚悟を決めて舞台上手を向いたドアを開くと、まるでリズが自分を出迎えるかのように左手に握ったステッキを掲げているのが目に入る。
「え、ええと……」
正直、ステージ衣装を身にまとってこれだけの注目を浴びることなど想定外の事態だが、このままボックスから出なければ余計に目立つだけだ。
(ええい、儘よ!)
愛は緊張した面持ちで精一杯の笑顔を作ると、やや硬い動きでボックスから足を踏み出し、観客席の方を向き直って軽く頭を下げた。
――静寂。
「あ、あれ……?」
もちろん愛としても、割れんばかりの拍手の嵐を期待していたわけではなかったが……それにしても、おかしい。
先ほどまで盛り上がっていたであろう観客たちが、自分の姿を目にした途端に、水を打ったように静まり返っていた。
恐る恐る、不自然にならない程度に観客席の様子を見渡す。誰もが呆気にとられたように口をあんぐりと開けて、愛の方を見ている。
もしかして私は、出て行くべきタイミングを間違えてしまったのか?
自分がマジックショーの段取りをぶち壊してしまったとしたら、どうしよう。そんな思いから、救いを求めるようにリズに視線を送る愛。
しかし、リズは困ったような表情で視線を泳がせ、決して愛と目を合わせようとしない。
もしかして、リズも匙を投げるほど取り返しのつかないミスをしてしまったのだろうか。絶望し、いっそこのまま逃げ出してしまおうかとすら思い始めた愛に対して、ようやくリズが視線を逸らしたまま口を開いた。
「コホン……アイ、急いで着替えて頂いたのはとても有難いのデスが……その……大事なモノを、お忘れじゃないデスか?」
そう言って愛に対して差し伸べられた右手。そこに握られていたのは、間違いなく先ほど着用したはずのステージ衣装のトップ。
「ふぇ? なんでそれをリズが――」
そこまで言葉を紡いで、一つの可能性に辿りついてしまった愛は、それ以上の言葉を続けることができなくなった。
ボックスの中で着替え中に感じた、奇妙な解放感。
自分の姿を見た観客の、異常な反応。
そして、リズが今右手に持っている、ステージ衣装。
認めたくないことだが、それらの事実は、たった一つの結論を示唆していた。
違う。そんな非現実的なことが、起こり得るはずがない。リズが手に持っている衣装も、単なるスペアか何かに決まっている。
衣装だって、着用したことは間違いない。きっと観客の反応がおかしいのは、確認不足でトップを逆さまに着用してしまったとか、そんなところだろう。
自分の頭に浮かんだ最悪の想像を拒絶し、ゆっくりと観客たちの視線の先を追うように、自分の上半身を確認した愛の目に映ったものは……
……全校生徒の注目するステージの上で、完全に曝け出された自分の双丘だった。